第十二回
さてさて、潼関を守るは并州の人、姓を鄭、名を存当と、その弟・存恵。潼関を守るこの兄弟はともに驍勇無敵、黄巣より特に抜擢された猛者であります。しかし驍勇無敵の看板も今日までの話、斥候よりの報せを受けた李克用は、李存孝に副将・薛阿檀と精兵5百をつけて先鋒とし、自らは後方より周徳威を従えて突撃。対するに鄭存当は弟に精兵一万五千を与え、李存恵は函谷関の外、道都・蒲州に広がるように展開。天下の驍将・存孝がこの布陣の甘さを見抜けないはずもなく、陣法もなく漫然と広がった黄巣軍は存孝の先鋒軍に追い散らされ、それを後方から到来する克用、徳威の軍三万五千が草でも刈るように容易く斬り伏せてゆくことまさに無人の野をゆくがごとし。鄭存恵は雁門軍の圧倒的強さを前に兵を収容することも泣く関内へと逃れますが、そこに「この軟弱者がァ!!」と強烈な拳を食らわせたのは兄・存当。陛下より授かった名誉ある職を汚すとは弟でも許さんといわんばかり。
「いや違うってマジ強いんだよ今度の官軍はよぉ。兄貴も一遍当たってみろよ、そーすりゃわかるって」
「そこまで言うなら当たってやるわい。そこで自分の処遇でも考えているがいい!」
馬にうちまたがり再び精兵三万を徴発した存当は、側面からの突撃に弱いもののいかなる形勢にも柔軟に対処できる、ナポレオンも愛用した縦陣で雁門軍得意の突撃戦法魚鱗の陣に突っ込み、眇目の勇将・克用その人に勇敢にも突撃、両軍真っ向からの突撃戦になるか、はたまた総大将同士の一騎打ちと相成るのかというところに、存孝猛進。存当の三万に五百の寡兵で突進、これを瓦解させるも存当は既に総大将・克用の前に。しかしこの場で主役となるは周鎮遠。彼は克用と存当の得物が互いに触れる寸前、まさしく音もなく間に入って存当を生け捕りといたしました。そして雁門軍は怒涛の快進撃。三万の精兵を存孝が鉄槌を振るって縦横に引き裂き、そこを克用・徳威の二将が打ち破れば破れぬところなし。三万の兵は我先にと潼関に逃げ込み、存恵の指揮のもと堅守の構えを見せます。実にこれこそ克用がもっとも懸念していた事態。潼関の要衝たること天下に比類なく、力攻めでこれを落とすことは不可能。ではいかなる計を立てるのか。とりあえず四万の兵は存当の首を軍門に懸け、潼関を囲みます。
しかし潼関はもとより洛陽と長安を結ぶ堅牢無比の要塞、濠は深く峻険で、七昼夜城を囲んでも陥ちる気配を見せません。そこで計を献じるのは夜盗上がりの薛阿檀。彼は存孝に進言し、「城中には水なく柴も少ないはず、古くからの故事にも言うではありませんか、“民は水火あらずば生活できず”と。今連日七日囲み、軍民既に恐慌をきたしていることは必定。ここは暫く軍を退き、城中がおのずと潰滅するのを見てそこを取るべしと具申いたします。」存孝はこれを聞き「まさに妙計なり」といって即日克用と計り、旗を収め諸将に伝言して、一旦全軍撤退を伝えるのでありました。各部の兵がすべて撤退したのを見て存恵は城樓からこれを見て雁門軍撤退と見て取り、しかしながら謀計を懼れ、ただ西門を開いて人を遣わし虚実を図らせまするが、これは虚実を量るどころか雁門軍の武威を恐れて遠くに逃げ去りました。この当時軍民は薛阿檀の予見したとおり、西門が開けば物資の欠乏から城を出て柴を刈り水を汲み、これを止めると言って聞くものではありません。
衆はみな雁門軍の再侵攻を懾れ、大量の柴を刈って城に入りますが、城中乱乱汾々として出入りは難しく、城に入るものは間諜でないかと厳しく詰問される始末。囲みを解くこと三日、完全に規律が破綻したところに克用再来の声が轟くや、軍民競って城へと逃げ込み、逃げ送れたものは踏み殺される次第。雁門軍はの先鋒は再び存孝率いる三百騎の騎兵隊。存孝は神速の用兵でもって西門の閉じぬ内城内に特攻、寡兵ながら向かうところ敵なく敵騎を逐って、さらに城門をふさぐ鎖を断ち切って正門を開放、雁門軍4万を引き入れます。此処にいたって戦局は一挙に傾き、形勢は雁門軍の勝利。奪え犯せ殺せの大掠奪が行われる中、克用は戦争なんてこんなものと嘯いてやはり沙陀。張承業の教化もさほどの効果はなし。もしここに承業あれば強引にでも掠奪をやめさせたでありましょうが、程敬思はそこまでの信頼を得るにいたっておりません。そして論功行賞。潼関攻略の最功労者、冠軍たるものを李存孝とします。元来故意に退軍して城中の軍民を油断させたところ強襲して内外呼応すると言う策は薛阿檀の献策でありましたが、その薛阿檀はその功を快く李存孝に譲りました。論功二位は鄭存当拿捕の周徳威。これは誰の異存もないところ。
ここに存孝の武威を称えた詩があり、
克用、命を奉じて軍旅、帝都に往き、
厄険の道行きに一人の英雄児を得る。
これ実に難図の険厄を越えるに足り、
かの英雄児にあらずば潼関を下せず、
しかるに潼関を抜いて道行きは安息。
というわけで存孝は安らぎを求め、寡兵速攻で石峰関(上関)をも打破、将を遣わし克用を上関に迎え、兵を停めて馬を休めることにいたします。克用は営中にあって存孝の戦果を戦々恐々と待ち受けていたところでしたから、存孝が関を破って克用接迎の使者を送ると大いに狂喜、号令一下、人馬一斉に上関に入らんと致します。ここで宦官・程敬思が
「ここは河中から遠からず、河中はまさに長安の後門に当たります。朝廷の金牌を受けた二十八鎮の諸侯とかの地で会盟し、そのうえで兵を合し協力して巣賊を伐たんとするが上策。ここは一旦退がり、諸侯と介して後よろしく兵を進むべし」と告げましたが、克用は
「急ぎよろしく兵を進むべし」
との一言に反応。
「河中の軟弱者らにかかずらわっている場合ではない。雁門軍四万個は尽ごとく精鋭、麾下に存孝、徳威、嗣源らの名将を擁し、決して巣賊に引けは取らぬ。人馬長安に向けて進発! 一刻も早く巣賊の患を除き、陛下の憂いを晴らすのだ(そーすりゃ俺も隴西郡王に返り咲けるかも知れんしな)!!」
潼関の険阻いまこれを抜き、
英雄、今容易くこれを破る。
河中の諸侯と会すことなく、
ひとり朝夕に巣を滅ぼさん。
かくて雁門軍は孤軍兵を西へと進め、向かうは西都長安へ。この報せを受けて河中に会す28諸侯は驚き雁門軍を追いかけるのですが、果していかが相成りますか。そして諸侯が一人、宣武軍節度使・朱温との邂逅は克用に如何なる運命をもたらしますか。それは次回の講釈で。
さてさて、潼関を守るは并州の人、姓を鄭、名を存当と、その弟・存恵。潼関を守るこの兄弟はともに驍勇無敵、黄巣より特に抜擢された猛者であります。しかし驍勇無敵の看板も今日までの話、斥候よりの報せを受けた李克用は、李存孝に副将・薛阿檀と精兵5百をつけて先鋒とし、自らは後方より周徳威を従えて突撃。対するに鄭存当は弟に精兵一万五千を与え、李存恵は函谷関の外、道都・蒲州に広がるように展開。天下の驍将・存孝がこの布陣の甘さを見抜けないはずもなく、陣法もなく漫然と広がった黄巣軍は存孝の先鋒軍に追い散らされ、それを後方から到来する克用、徳威の軍三万五千が草でも刈るように容易く斬り伏せてゆくことまさに無人の野をゆくがごとし。鄭存恵は雁門軍の圧倒的強さを前に兵を収容することも泣く関内へと逃れますが、そこに「この軟弱者がァ!!」と強烈な拳を食らわせたのは兄・存当。陛下より授かった名誉ある職を汚すとは弟でも許さんといわんばかり。
「いや違うってマジ強いんだよ今度の官軍はよぉ。兄貴も一遍当たってみろよ、そーすりゃわかるって」
「そこまで言うなら当たってやるわい。そこで自分の処遇でも考えているがいい!」
馬にうちまたがり再び精兵三万を徴発した存当は、側面からの突撃に弱いもののいかなる形勢にも柔軟に対処できる、ナポレオンも愛用した縦陣で雁門軍得意の突撃戦法魚鱗の陣に突っ込み、眇目の勇将・克用その人に勇敢にも突撃、両軍真っ向からの突撃戦になるか、はたまた総大将同士の一騎打ちと相成るのかというところに、存孝猛進。存当の三万に五百の寡兵で突進、これを瓦解させるも存当は既に総大将・克用の前に。しかしこの場で主役となるは周鎮遠。彼は克用と存当の得物が互いに触れる寸前、まさしく音もなく間に入って存当を生け捕りといたしました。そして雁門軍は怒涛の快進撃。三万の精兵を存孝が鉄槌を振るって縦横に引き裂き、そこを克用・徳威の二将が打ち破れば破れぬところなし。三万の兵は我先にと潼関に逃げ込み、存恵の指揮のもと堅守の構えを見せます。実にこれこそ克用がもっとも懸念していた事態。潼関の要衝たること天下に比類なく、力攻めでこれを落とすことは不可能。ではいかなる計を立てるのか。とりあえず四万の兵は存当の首を軍門に懸け、潼関を囲みます。
しかし潼関はもとより洛陽と長安を結ぶ堅牢無比の要塞、濠は深く峻険で、七昼夜城を囲んでも陥ちる気配を見せません。そこで計を献じるのは夜盗上がりの薛阿檀。彼は存孝に進言し、「城中には水なく柴も少ないはず、古くからの故事にも言うではありませんか、“民は水火あらずば生活できず”と。今連日七日囲み、軍民既に恐慌をきたしていることは必定。ここは暫く軍を退き、城中がおのずと潰滅するのを見てそこを取るべしと具申いたします。」存孝はこれを聞き「まさに妙計なり」といって即日克用と計り、旗を収め諸将に伝言して、一旦全軍撤退を伝えるのでありました。各部の兵がすべて撤退したのを見て存恵は城樓からこれを見て雁門軍撤退と見て取り、しかしながら謀計を懼れ、ただ西門を開いて人を遣わし虚実を図らせまするが、これは虚実を量るどころか雁門軍の武威を恐れて遠くに逃げ去りました。この当時軍民は薛阿檀の予見したとおり、西門が開けば物資の欠乏から城を出て柴を刈り水を汲み、これを止めると言って聞くものではありません。
衆はみな雁門軍の再侵攻を懾れ、大量の柴を刈って城に入りますが、城中乱乱汾々として出入りは難しく、城に入るものは間諜でないかと厳しく詰問される始末。囲みを解くこと三日、完全に規律が破綻したところに克用再来の声が轟くや、軍民競って城へと逃げ込み、逃げ送れたものは踏み殺される次第。雁門軍はの先鋒は再び存孝率いる三百騎の騎兵隊。存孝は神速の用兵でもって西門の閉じぬ内城内に特攻、寡兵ながら向かうところ敵なく敵騎を逐って、さらに城門をふさぐ鎖を断ち切って正門を開放、雁門軍4万を引き入れます。此処にいたって戦局は一挙に傾き、形勢は雁門軍の勝利。奪え犯せ殺せの大掠奪が行われる中、克用は戦争なんてこんなものと嘯いてやはり沙陀。張承業の教化もさほどの効果はなし。もしここに承業あれば強引にでも掠奪をやめさせたでありましょうが、程敬思はそこまでの信頼を得るにいたっておりません。そして論功行賞。潼関攻略の最功労者、冠軍たるものを李存孝とします。元来故意に退軍して城中の軍民を油断させたところ強襲して内外呼応すると言う策は薛阿檀の献策でありましたが、その薛阿檀はその功を快く李存孝に譲りました。論功二位は鄭存当拿捕の周徳威。これは誰の異存もないところ。
ここに存孝の武威を称えた詩があり、
克用、命を奉じて軍旅、帝都に往き、
厄険の道行きに一人の英雄児を得る。
これ実に難図の険厄を越えるに足り、
かの英雄児にあらずば潼関を下せず、
しかるに潼関を抜いて道行きは安息。
というわけで存孝は安らぎを求め、寡兵速攻で石峰関(上関)をも打破、将を遣わし克用を上関に迎え、兵を停めて馬を休めることにいたします。克用は営中にあって存孝の戦果を戦々恐々と待ち受けていたところでしたから、存孝が関を破って克用接迎の使者を送ると大いに狂喜、号令一下、人馬一斉に上関に入らんと致します。ここで宦官・程敬思が
「ここは河中から遠からず、河中はまさに長安の後門に当たります。朝廷の金牌を受けた二十八鎮の諸侯とかの地で会盟し、そのうえで兵を合し協力して巣賊を伐たんとするが上策。ここは一旦退がり、諸侯と介して後よろしく兵を進むべし」と告げましたが、克用は
「急ぎよろしく兵を進むべし」
との一言に反応。
「河中の軟弱者らにかかずらわっている場合ではない。雁門軍四万個は尽ごとく精鋭、麾下に存孝、徳威、嗣源らの名将を擁し、決して巣賊に引けは取らぬ。人馬長安に向けて進発! 一刻も早く巣賊の患を除き、陛下の憂いを晴らすのだ(そーすりゃ俺も隴西郡王に返り咲けるかも知れんしな)!!」
潼関の険阻いまこれを抜き、
英雄、今容易くこれを破る。
河中の諸侯と会すことなく、
ひとり朝夕に巣を滅ぼさん。
かくて雁門軍は孤軍兵を西へと進め、向かうは西都長安へ。この報せを受けて河中に会す28諸侯は驚き雁門軍を追いかけるのですが、果していかが相成りますか。そして諸侯が一人、宣武軍節度使・朱温との邂逅は克用に如何なる運命をもたらしますか。それは次回の講釈で。
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